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右から左に流す日々

ベンジャミン・クリッツァー『21世紀の道徳 学問、功利主義、ジェンダー、幸福を考える』読書メモ①人間の本性を直視せよ

 第一章はピーター・シンガーが『現実的な左翼に進化する』において提唱したダーウィニアン・レフトの立場が紹介されている。

 

 シンガーはこの本において、マルクスの社会構築主義的な方法論(マルクスは人間本性を社会的関係の総和と論じている)を批判し、正確に人間本性を理解するにはダーウィンに鞍替えしなければならないと説いている。クリッツァー氏曰く、

左派の目標を正しく達成するためには正しい手段を考える必要があり、正しい手段を考えるためには問題の原因について正しく理解しなければならない。そして、人間の社会に存在する問題の原因を理解するためには、人間の本性についての正しい理解も不可欠だ。だからこそ、左派もマルクスからダーウィンに鞍替えしなければならないのである(p.29)

 となる。シンガーは「左派の本質」を「弱者の苦痛を和らげること」としており、左派が本当にそうした目標を達成したいならば、人間本性をよりよく理解することで現実的な解決策を採るべきだ。そうした問題意識がシンガー、そして筆者にもあるのだろう。ただし、筆者が一応指摘している通り、「弱者の苦痛を和らげること」が左派の本質とするシンガーのテーゼは広く共有されたものとは言えないし、「最大多数の最大幸福」や「すべての人の利益への平等な配慮」を目標とするシンガーの功利主義哲学の理念が強く反映されているから、そこにまず反発する左派も多そうである(筆者が言うように「目標を達成するための正しい手段を考えるうえでは、原因についての正しい理解が必要だ」という主張そのものは正論としか言いようがないのだが)。

 筆者は事実やデータを重視する左派の例として、公衆衛生学者のハンス・ロスリングや進化心理学者のスティーブン・ピンカーを例に出し、科学的な事実、生物学的な事実に則って分析し、課題解決を目指す彼らはシンガーの言う「左派の本質」に適っていると紹介している。一方で、多くの左派の間では未だにダーウィニズムは嫌悪の対象であるとして「左派のダーウィン嫌い」について取り上げている。シンガー曰く、その理由として、

  1. 歴史的にダーウィニズムは右派に積極的に取り上げられてきたこと、具体的にはロックフェラー2世やアンドリュー・カーネギーなどといった資産家により、自由放任主義を正当化する論拠として「適者生存」が導出された経緯
  2. 有害な遺伝子の拡散を予防するという名目で、福祉や医療費を削減して弱者を切り捨てる優生学的な社会政策が実際に実施されたり、主張されてきた背景
  3. マルクス主義的な「人がどうあるかを決めているのは意識ではなく、社会的な存在が意識を規定する」という社会構築主義的な人間本性理解

 といった事実をあげていた。シンガーは1と2の理由について、そもそもこれらは「自然主義的誤謬」(ある事実を規範的に「良い」と定義すること)であり、ダーウィニアン・レフトの心構えとして「そういう本性である」から「正しい」と決して推論しないように注意している。

 3つ目の理由については、ある種の左派の人たちがよくやっていることである。進化論がイデオロギー的だと批判しながら、実際はそう批判している人たちが最もイデオロギーにまみれているというものだ(ここではエンゲルスマルクス社会生物学論争におけるリチャード・ルウォンティンやスティーブン・グールド、そして現代においてロスリングやピンカーの主張を批判する人々が挙げられていた)。

「一見すると中立で客観的な科学的知見であっても、その知見が主張される背景には、政治的な意図や差別的な思想が存在する」といった批判が的を射ている場合もあるだろう。しかし、左派の人たちは「社会が意識を決定する」というマルクス主義的な考え方や、「完全無欠な世の中」という自分たちの理想にとって都合の悪い知見から目を逸らすために、そのような知見を唱えている人たちの議論からことさらに悪意を発見して「悪い連中の言うことだから耳を傾けなくていいのだ」と自分たちを納得させている、としか考えられないような事例も多い(pp.33-34)

 これは左派だけではなく、多くの人に突き刺さる文章だと思った(もちろん、わたしにも)。人は往々にして部族主義的な思考に陥りやすく、敵か味方かの区別をしがちである。だから、自分たちに都合が悪い情報を見聞した際に、それを主張する人間の利害関係を探ったりすることも多い。もちろん、健康に関する研究なんかだと、そのスポンサーの意向を強く汲んでいるような場合も多いので、決してそれ自体が悪いなどとは言えないのだが(JTがスポンサーになっている場合、タバコの有害性に関する研究が価値中立的にできるかと言えば微妙に思える)、だとしてもこうした部族主義的な思考法や利害を探るやり方は議論を停滞させるだけではなく、破綻させてしまう場合の方が多いように思える。仮に自分にとって都合の悪い事実を突きつけられたとしても、そこでやるべきなのは更にそれを反証する証拠を突きつけてやることにある。そこで相手の悪意や利害関係を探る意味は(よほどに悪質な相手ならまだしも)、基本的には無いと考えるべきなのだろう。

 

 第1章はここから進化論的な知見から人間の協力行動を探求する意義を説き、不都合な真実に対して如何に対処すべきなのかを説明している。これはダーウィニアン・レフトを目指す人だけではなくとも、多くの人が読むべきものだと思う。私は相当に昔はアナルコ・キャピタリズム(政府を廃止し、市場にすべて委ねるべきとする、リバタリアニズムの中でも最も極端な思想)を支持していたのだが、イデオロギーに憑りつかれていると、まともに情報を取捨選択するリテラシーすらも欠如してしまうし、相手の意見に耳を傾けるということも難しくなってしまうからである。そして、筆者もシンガーも言うように、問題を本当に解決したいのならば、正確な事実に基づいて問題を分析し、その処方箋を考えるべきなのだ。これは左翼であるなら、ではなく、建設的に問題解決を考えたい人なら、誰もがそうあるべき話なのである(こうした問題意識は、ジョシュア・D・グリーンの『モラル・トライブズ』とも関連していると思う)