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右から左に流す日々

職業に貴賎なしは本当か?(警備員の立場から)

 先日、底辺の職業ランキングという記事が炎上したという話をどこかで読んだ。その中には当然警備員も入っていたようだ。

 私自身、過去に1号警備(施設警備員)の仕事もしてたし、現在は予備校で勤務しながら2号警備(交通誘導警備)もやってるので、なかなか耳の痛い話だなあと思ったものだ。ネットではこの記事に対する批判が氾濫しているが、少なくとも我が業界は暗黒のド底辺であることは疑いようがない。読者の中には柏耕一の『交通誘導員ヨレヨレ日記』を読んだ方はいらっしゃるだろうか。あれはまさにそのまんまの交通誘導警備の現状を表現している。

 

 施設警備も相当酷いものだが、交通誘導警備はとにかくもっと酷い。夏は暑くて冬は寒い環境的な酷さもさることながら、待遇も最悪なものが多い。そもそもあらゆる業界の中でも際立って薄給であり、それでも自前の車で朝4時5時に起きて50~100㎞先の現場まで行くこともままある。もちろんガソリン代とかは出るが、車の維持費を考えるなら長期的にはマイナスになりかねない。

 仕事内容にやりがいがあるかと言われると、真面目な話として全くそんなものは感じたことがない。現場の職人さんによってはめちゃくちゃ酷く扱われる場合もあるし(特に電気工事の現場は滅茶苦茶振り回されて辛い)、悪質なドライバーのクソみたいな煽りや暴言にも堪えなければならない(だいたいクレームを言われるのは工事業者ではなく警備員である)。*1もちろん、警備員に非常に親切な現場もあるので、一概に全部そうだとは言えないだろう。よく差し入れしてくれる監督さんもいるし、気さくに話しかけてくれる職人さんもいる。道行く人にお礼を言われる場合もあったりと、全部が全部苦痛とは言えない。そして何より、何かクレームを言われる場合というのは工事業者にもドライバーにもそれぞれの言い分があることもあるので、警備員側にも問題がある場合が当然あるだろう(駄目な警備員は実際にめちゃくちゃ多いから)。

 

 「職業に貴賎なし」「誰かの仕事で世界はできている」と言うのは容易いことだ。僕もそのような社会になることが望ましいとは思う。しかし、例えば貴方の子どもが「将来旗振り(交通誘導警備員)になりたい」と言ったと仮定しよう。それを貴方は本当に応援できるだろうか。もしそこに少しでも嫌悪感があったのであれば、残念ながらそれが交通誘導警備員に対して与えられている社会的な意味だということになるだろう。子どもの将来の夢に「交通誘導警備員」が入ってこないのは、少なくとも職業に貴賎があるという現状を物語っているのだ。もし本当にこのような状況が不健全だと真剣に考えているのであれば、「職業差別は良くない」で終わるのではなく、もう少し具体的にこの業界が良くなる処方箋を示していかなければならないのではないだろうか。

 

 

*1:私は一時期、すべての車がモルカーだったらなと想像して仕事していたが、ペットボトルぶん投げられたり、止められたことを根に持ったドライバーからひき殺されかけたりしたので、ストア哲学のアパテイアの境地に至ることにした