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渡辺茂『動物に「心」は必要か: 擬人主義に立ち向かう』のダメなところ

 これは以前読書メーターで書き溜めたものだ。

 なぜ今更になってそのような記事を出す気になったのかと言えば、藤田和生『動物たちのゆたかな心』を読んだ際、参考文献に渡辺茂の本が多数紹介されていたからなのだが、日本の動物行動学・比較認知学の領域において結構な権威のある人が、何故にこのようなアレな本を書いてしまったのか非常に疑問を持ったのがきっかけである。

 この渡辺の本は科学的な領域面において間違ってるというわけではないが、記事の中で触れているように「擬人主義」のレベルを本人がどう捉えているか非常に不可解であり、本人の専門外の領域であるはずの動物倫理学に関する議論については重大かつ致命的な誤りを犯している。そしてそれは日本の動物学関連の学者に往々にしてみられるもので、例えば三浦慎吾『動物と人間:関係史の生物学』なんかも明らかに間違ってるようなことを平然と書いていたりする。

 

動物と人間: 関係史の生物学

動物と人間: 関係史の生物学

  • 作者:三浦 慎悟
  • 発売日: 2018/12/14
  • メディア: 大型本
 

  確かに自分の興味の対象外になる分野について、人は往々にして雑語りをしがちなのだが、少なくとも学位の看板をもって学術書として出している以上、ろくに下調べもせずに適当なことを書くのは真面目に如何なものかと思う。基本的に理系の学者は動物関連に留まらず、人文学を小馬鹿にしている印象があり、内容についてよく知りもせずに適当なことを書いてる印象があるのだが、そうした態度は学問的にも不誠実だと謗られても仕方ないだろう。

以下、読書メーターの文章である。

 

  
Votoms
擬人主義批判ということで読んだ。しかし、研究方法としての擬人主義批判と言いながら、具体的に誰の理論を根本的に批判しているのか不明。しかも筆者自身、擬人主義が有用と言ってる記述もあり、いったい何を批判したいのか鮮明ではない。素朴な意味の擬人主義を前提に理論を提唱している動物行動学者などほとんど存在しないのだから、どこからどこまで受け入れるのかという程度問題に過ぎないように思える。また、少なくとも動物倫理に関して扱った章に関しては不勉強にも程があると誹りを受けても致し方ない内容で、到底まともな論とは言えない
 
Votoms

まず、批判の槍玉にあがるピーター・シンガーに関し、「全ての動物にとって人間はナチ」と言ったという記述が出てくるが、哲学・倫理学者のピーター・シンガーはそのような事を言ったことはない。これは作家のアイザック・バシェヴィス・シンガーの間違い。更に、ピーター・シンガーに関する要約が粗雑極まるのは、到底まともな学識者のやることではない。少なくとも、動物の権利論者・解放論者の文献を一冊でも読むべきだが、その形跡すらないのは明らかに舐めた態度としか言いようがない。

02/11 15:25
  • みつけるちゃん
Votoms

またナチスの動物保護の理念と現在主張されている動物の権利論・解放論のアプローチは全く異なるものなのに、両者を一緒くたに扱ってみせるのは知的な意味で誠実な態度とは全く思えない。このようなロジックが通るなら、リバタリアンで動物倫理的理由によるベジタリアンだったノージックナチス主義者として扱う暴論も認められてしまうだろう。扱ってる仮想敵も古すぎる。紹介も雑すぎる。シンガーは功利主義者だし、レーガンは義務論者。前者は動物の権利論者ではない。

02/11 15:30
  • みつけるちゃん
Votoms

自著解題を一番うしろにもってくるのもよくわからない。そうした自分の立場を鮮明にしたいなら、そもそも最初にもってくるべきであり、そうでなければどういう意味で「動物(そして人)に心はない」と言ってるのか理解できない。東京大学出版会は編集と校正を担当したのだろうが、なぜこのような穴だらけな本を修正できなかったのか理解に苦しむ。 これでは擬人主義を屠るどころか返り討ちに遭うだけではないだろうか。

02/11 15:33
  • みつけるちゃん
Votoms

最後に、フランス・ドゥ・ヴァールについて「倭人」と記したり、進化論を信じない米国民を指して「民度が低い」等々、まともな学術書とは思えない表現が並んでいるのはいかがなものかと思わざるを得ない。私はポリコレについて批判的なので筆者の人権感覚について云々する気はないが、ツイッター等のSNSではあるまいし、当人がそう思っていても発信していい時と場合は踏まえられるべきである。出版社はこれを通した事を猛省すべきではないか。

02/11 15:37
  • みつけるちゃん